山口県宇部市東岐波の地に臨む産土神社、古尾八幡宮

沿革

古尾八幡宮の沿革

御由緒

奈良時代、天平勝宝三年(西暦751年)に豊前国(大分県)宇佐八幡宮(現在の宇佐神宮)の分霊を勧請して社殿を古尾の地(現在の磯地五反田南の高台中央腹)に創建し、古尾八幡宮を以て賀宝庄(現在の佐山・阿知須・東岐波・西岐波)の鎮守として地域内に生活する人々が守護神として崇敬し来たった。

以来、四百八十二年間、古尾に鎮座せられたが、世が進むにつれ参拝に不便を感じ、天福元年(1233年)に「王子一本松」の下で南北の氏子が協議の結果、社を南と北に分かつこととし、南は南方八幡宮(西岐波)、北は北方八幡宮(阿知須)として祀られた。

明治十二年(1879年)六月、吉敷郡岐波村は東と西に分割せられたことにより、一村一社制の下、同十九年(1886年)八月一日、東岐波が南北分社(天福元年)以来からの氏神であった南方八幡宮から分離して、末社稲荷神社を以て氏神とした。

明治二十年(1887年)六月一日、東岐波氏子は南方八幡宮の分霊を奉還し、尚また同四十三年(1910年)には豊浦郡内日村・室路八幡宮の末社・大河内八幡宮の還座を請け、これに稲荷神社・赤崎神社をはじめ、王子権現・若宮社・松堂社 以下村内各区の小宮(各鎮守社)を勧請・合祀して、古尾八幡宮と改称し(同四十三年十月二十日・山口県知事認可を得)緑したたる波雁ヶ浜(波雁山)の中央に社殿を建立し、明治四十四年(1911年)六月一日、壮厳なる古尾八幡宮奉告祭式(遷宮)を挙行し、東岐波の産土神社(地区の守護神)として現在に至っている。

※ 吉敷郡東岐波村は昭和二十九年(1954年)十月一日、宇部市に編入し、宇部市東岐波区として現在に至る。
※ 昭和五十八年十一月二十七日、旧社地顕彰完工式(南北分社七百五十年)を挙行。

(平成二十一年十一月十二日 宮司記)
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